2008年07月20日
武蔵野
涼しい。
かつて政財界の要人や文化人が別荘をこぞって建てたというのもうなづける。
もちろん私の住まいが立地的・構造的に優れているというのもある。
ほぼ南を向いた窓の前にはテニスコートがあり、その反対側にある部屋のドアを開け放てば廊下を隔てて畑が広がる。廊下の窓を開ければ南風が通り抜けるというわけだ。
そして、最上階ではないため、屋根から伝わる熱もなく、梅雨明けでカンカン照りの今日のような日でも快適に過ごしている。
私の住まいを出れば、江戸時代からある二つの用水路と、それにそって植えられた街路樹がつくりだす日陰とが、散歩道に涼感を出している(ただし、用水路のそれは実効的にというよりは視覚的な要素が強い)。至るところで、背の高い樹木がいい日傘になっている。
今日も夕方になれば、ひぐらしが啼いて、もう夏が終わってしまうかのような錯覚をいだかせるのだろう。
住めば都、や、ここは私が住む前から東京都なのだった。
かつて政財界の要人や文化人が別荘をこぞって建てたというのもうなづける。
もちろん私の住まいが立地的・構造的に優れているというのもある。
ほぼ南を向いた窓の前にはテニスコートがあり、その反対側にある部屋のドアを開け放てば廊下を隔てて畑が広がる。廊下の窓を開ければ南風が通り抜けるというわけだ。
そして、最上階ではないため、屋根から伝わる熱もなく、梅雨明けでカンカン照りの今日のような日でも快適に過ごしている。
私の住まいを出れば、江戸時代からある二つの用水路と、それにそって植えられた街路樹がつくりだす日陰とが、散歩道に涼感を出している(ただし、用水路のそれは実効的にというよりは視覚的な要素が強い)。至るところで、背の高い樹木がいい日傘になっている。
今日も夕方になれば、ひぐらしが啼いて、もう夏が終わってしまうかのような錯覚をいだかせるのだろう。
住めば都、や、ここは私が住む前から東京都なのだった。
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12:13
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2008年01月04日
「一度」ふたたび
なかなかに頭を悩ませる問題になりつつある。
何となくではあるが、「一度」系列の場合(すなわち、二度、三度、etc.)、鬼司令の示唆的なコメントにもあるように定量的で、あくまでも、中心たる動詞の修飾語に留まっているのに対し、「ひとたび」系列(ふたたび、みたび、etc.)は、慣用的であることによって(よたび、いつたび、とはあまり言わない)、「一度」系列よりも意味の比重が大きいと思う。
また、
という例文からもわかるように、「一度」系列を用いた場合、「二度目」を用いる文にしないと一度目が含まれてしまうのに対し、「ひとたび」系列は、それだけで一回の行為のみを指示することができる。(再び、という書き方があるのもそのためか?)
だが、「一度」と「ひとたび」に限るならば、
この二つの文に大きな意味上の違いは感じられない。使い分けは、やはり慣用的なものなのだろうか。もう少し考えるとしよう。
何となくではあるが、「一度」系列の場合(すなわち、二度、三度、etc.)、鬼司令の示唆的なコメントにもあるように定量的で、あくまでも、中心たる動詞の修飾語に留まっているのに対し、「ひとたび」系列(ふたたび、みたび、etc.)は、慣用的であることによって(よたび、いつたび、とはあまり言わない)、「一度」系列よりも意味の比重が大きいと思う。
また、
容疑者は二度現場に姿を現した。
容疑者はふたたび現場に姿を現した。
という例文からもわかるように、「一度」系列を用いた場合、「二度目」を用いる文にしないと一度目が含まれてしまうのに対し、「ひとたび」系列は、それだけで一回の行為のみを指示することができる。(再び、という書き方があるのもそのためか?)
だが、「一度」と「ひとたび」に限るならば、
一度口にすれば、誰もがその味の虜になる
ひとたび口にすれば、誰もがその味の虜になる
この二つの文に大きな意味上の違いは感じられない。使い分けは、やはり慣用的なものなのだろうか。もう少し考えるとしよう。
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16:11
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2008年01月03日
一度
「ひとたび」と書くとき、「いちど」と読ませないために「一たび」にするか、「ひと度」にするか、「ひとたび」にするか、読み方なんて読み手の自由だと言わんばかりに「一度」と書いてしまうか。
ずっと迷っているのだが、いまだ答えは出ない。
個人的には熟語を平仮名と漢字の混合体にすると不恰好に見えてしまうのである(し方、ら致、etc.)。
「ひとたび」と「いちど」には、微妙な違いがあるように思うのだが、もう少し研究が必要なようだ。
ずっと迷っているのだが、いまだ答えは出ない。
個人的には熟語を平仮名と漢字の混合体にすると不恰好に見えてしまうのである(し方、ら致、etc.)。
「ひとたび」と「いちど」には、微妙な違いがあるように思うのだが、もう少し研究が必要なようだ。
Posted by テン at
03:43
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2007年06月19日
衝撃
私にとっては衝撃的なのだが、「希代」あるいは「稀代」という言葉は正式には「きたい」であり、「きだい」だと携帯電話の変換では出ないという事実。
Posted by テン at
22:07
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2007年04月11日
空白の10年
下記のエントリーにて触れた出版記念パーティーにて、「沖縄協会」のことを少し話したのだが、私自身はというと、以前から気にはなっていたのものの一度も行ったことがなかった。
それで、案の定、まだ行っていないのだけれども、たまさか読んでいた『沖縄の歳月』(比嘉春潮、中公文庫、1969年)にその辺の記述があった。
まずもって謎なのは、
①沖縄協会という団体そのものが、なぜ東京にあるのか
②平和祈念堂の事業を行っているのはなぜか
ということである。
上述した『沖縄の~』によれば、第二次大戦末期に沖縄県人会を母胎とする「報国沖縄協会」という団体が設立され、それを引き継いだのが「財団法人沖縄協会」ということなのだが、現在ある沖縄協会のHPをみると前身は「特殊法人南方同胞援護会」ということになっている。
つまり、比嘉が言及している沖縄協会と現在ある沖縄協会に直接的つながりがあるかどうかわからない。
比嘉によれば、伊波普猷をトップとして設立された沖縄人連盟という組織があり、こちらが沖縄協会を併合したということになっている。
「南方同胞援護会」の設立は1956年(昭和31年)だから、比嘉の記憶通りだとすると、終戦直後にできた「沖縄協会」と「南方~」設立の間には約10年の空白がある。
また、『沖縄の~』の出版が1969年に対して現在ある「沖縄協会」の設立は1972年だから比嘉の勘違いということは考えられない。
よって、比嘉が言う沖縄協会と現在ある沖縄協会とはつながりがないと考えたほうがよいのだろうか。
だが、「南方~」が北方領土問題にも事業を展開していたとなると・・・。
沖縄をめぐってどのような動きがあったのか。
案外、掘り下げていけば、沖縄の戦後史において、「在本土沖縄人」がどのような役割を果たしたかを知ることができるかもしれない。
結構面白くなってきた。やはり一度行くべきか。
それで、案の定、まだ行っていないのだけれども、たまさか読んでいた『沖縄の歳月』(比嘉春潮、中公文庫、1969年)にその辺の記述があった。
まずもって謎なのは、
①沖縄協会という団体そのものが、なぜ東京にあるのか
②平和祈念堂の事業を行っているのはなぜか
ということである。
上述した『沖縄の~』によれば、第二次大戦末期に沖縄県人会を母胎とする「報国沖縄協会」という団体が設立され、それを引き継いだのが「財団法人沖縄協会」ということなのだが、現在ある沖縄協会のHPをみると前身は「特殊法人南方同胞援護会」ということになっている。
つまり、比嘉が言及している沖縄協会と現在ある沖縄協会に直接的つながりがあるかどうかわからない。
比嘉によれば、伊波普猷をトップとして設立された沖縄人連盟という組織があり、こちらが沖縄協会を併合したということになっている。
「南方同胞援護会」の設立は1956年(昭和31年)だから、比嘉の記憶通りだとすると、終戦直後にできた「沖縄協会」と「南方~」設立の間には約10年の空白がある。
また、『沖縄の~』の出版が1969年に対して現在ある「沖縄協会」の設立は1972年だから比嘉の勘違いということは考えられない。
よって、比嘉が言う沖縄協会と現在ある沖縄協会とはつながりがないと考えたほうがよいのだろうか。
だが、「南方~」が北方領土問題にも事業を展開していたとなると・・・。
沖縄をめぐってどのような動きがあったのか。
案外、掘り下げていけば、沖縄の戦後史において、「在本土沖縄人」がどのような役割を果たしたかを知ることができるかもしれない。
結構面白くなってきた。やはり一度行くべきか。
Posted by テン at
18:15
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